私はクリスチャンではない家族のもとで育ちましたが、幼稚園から高校3年生まで私立のクリスチャンスクールに通う機会に恵まれました。そのようにして私の主との歩みは始まりました。幼稚園以来ずっと、福音の話や私たちの罪のため十字架で死なれるために御子を送ってくださるという神の払われた犠牲について聞かされてきました。ついに3年生のとき、キリスト教について、またイエス・キリストが自分の罪のために死なれたと信じることが何を意味するのか考え始めました。そのうちにそのことについて、ある一人の先生と話をしました。会話の後、先生は祈りへと導いてくださり、自分の罪を悔い改めてキリストに私の救い主、そして購い主になってくださるように祈りました。それがまた私は自分自身をクリスチャンだと思い始めたときでもありました。
しかし私の生活はクリスチャンの真価や歩みを反映してはいませんでした。恐らく、私がまだクリスチャンであるということが本当にどういうことを意味するのかということについてよく理解していなかったからだと思います。私はただ地獄に行くことから自分を救いたかったことだけはわかっています。クリスチャンの叔母は私に教会に行くように薦め、両親の許しをもらって日曜学校に行きました。しかしそれはたった1年ほどで長くは続きませんでした。5年生の初めの頃、皆と一緒に教会に行くことをやめて気の向いた日にだけ行くことに決めましたが、それはただ変化を恐れていただけでした。中学と高校の間ずっと、私は母教会での金曜の夜の交わりには出席し続け、礼拝メッセージの最中も座っていましたけれど、私はただの自称クリスチャンでした。中学から高校まで私のクリスチャン生活はその時点のままで止まっていました。主に捧げる時間や主の前で静まる時間、そして祈りさえも時には不必要に思われました。私は俗に言う「霊的に死んだ」状態でした。自分をクリスチャンと呼ぶけれどクリスチャンとしては確かに行動していませんでした。
高校 2年生の 間、私は「難しい質問」と呼ばれる聖書のクラスをとりました。そのクラスでは先生がクラス中がそれぞれ一枚のメモカードに書いた質問のすべてについて答えてくれました。何が刺激的だったかというと、先生が聖書を調べもせずに聖書に基づいてすべての質問に答えるその答え方でした。先生はその聖句の節がある場所をはっきりと知っていて、私たちにその箇所を調べるように言うのでした。私はただ感動させられただけでなく、真実を追求することについても励まされました。しかし神や御言葉についてもっと見出したかったけれども、私がまた教会に通い始めることについて両親がどう思うかがはっきりわからず教会へは行き続けませんでした。
しかし神の恵みによって、大学に入学にするにつれ事態が変わりました。高校の間中、私は大学は神により近づけるようになるときか、それとも世的な楽しみのために神を見捨てるときになるだろうと常に言われてきました。私は自分のクリスチャン生活において変わるときだということがわかっていました。私はもはやただの自称クリスチャンではなく、大学の環境を利用して成長し、よりキリストに似た者になりたいと思っていました。間もなく、友達の協力でUCLAでのグレイス・オン・キャンパス(以下GOCと記載)と呼ばれるキャンパスの交わりに入ることになりました。宣教の働きにおいて神の御言葉を分かち合いたいという人々の渇きを見ることができ、私も彼らのようになりたいと思いました。UCLAでのGOCやグレイス・コミュニティ教会で私はキリストについて、また私のような罪人に今までしてくださったことについてのより正しい理解を深めているところです。それ以来、金曜の聖書研究会や日曜の朝のジョン・マッカーサー牧師のすばらしい説教や小グループを通してでさえも、神は恵み深く私を成長させてくださっています。私は家にいるとき、教会で学んできたことや神がどのように私に教え成長させてくださっているかについて、母に話をすることができます。私は神が私の人生にこれまでしてくださったことを思い出すとき、私には自分の人生におけるすべての栄光を神に帰するよりほか何もありません。 |