私の人生を振り返ってみると私の人生に救いの完全な計画をもって働いてくださった神様の御手のわざがはっきりと分かり、驚嘆します。教会へは通っていませんでしたが、神様は私の幼い頃に御自身を明らかにしてくださいました。私はキリスト教主義の小学校に入学し、神様と聖書について学びました。しかしテストに合格するための知識を詰め込んだ勉強でした。 2年生のとき、友だちが誘ってくれた教会の夏のキャンプが楽しくて、毎年続けて参加しました。そこではキリストが私の救い主であるという真の意味を理解することなく、ただ祈っていました。成長して中学生になってから、日曜日に教会へ行き、中学生の交わり会に参加するようになりましたが、自分の心を満足させることや友だちと付き合うことが動機となっていました。今、私は私が学んだこれらのことを神様が用いられ、私が神様に近づくために教会で過ごさせて下さったときであったと確信しています。
私はクリスチャンであると言いながら聖書の中の神様が言われるクリスチャンのあるべき姿とはかけ離れていました。自己中心で自分の栄光のために勉強やバスケットボールをがんばっていました。また自分は善い人であり必要なものはすべて持っていました。聖い神様の方を向いていない私の罪から救ってくださる神様の方を見向きもせず、絶望の中に身を置いていました。私は神が恵みの内に私を救うように選ばれ、神のひとり子が死んでくださり、それで私が神と正しい関係を持つことができるようにという確信を持てるようにしてくださった確実な時を正確に指摘できません。しかし少しずつ私の心がよい方向に変化していくのを気付きました。神様のことをもっと知りたい、神様の栄光を表した生き方をしたいと願うようになっていったのです。
神様は今も私との関係をより親密に、成長させてくださっています。クリスチャンとして正しく生きようとしている私を忍耐をもって見守り、導いてくださる神様に心より感謝しています。UCLAのグレイス・オン・キャンパスに導いてくださり、そこでますます神様のことを学べていることに何より感謝しています。今年に入り、見通しのたたない不安、試練を通して神様に信頼して歩むことを学んでいます。これらの経験は神様が私に与えてくださる最善であり、またそれは神様の栄光を表すためのものであることを心から信じています。将来のことは分かりませんが、神様のご計画は人知を超えた素晴らしいものであることを私は知っているので、心に平安を保っています。
またこの夏、日本に再び行き、神様がなされる大いなるみわざを見たいと願っています。 |