私はグレイス・コミュニティー教会でずっと育ってきたこと、とても信仰深い両親であったことを祝福であったと思っています。私は若いときに父と一緒にひざまずいてイエス様を私の救い主として受け入れ、心にきてくださるように祈ったことを覚えています。私の両親はキリストにある基本的な信仰において自分たちの生活にどのように適用させていくのかを教えてくれて、とても役に立ちました。両親はさまざまな教会の活動グループに参加できるためにクリスチャンスクールに私を入学させました。そしてうちでワークブックや一緒にデボーションを持つことをとおして私に教えました。クリスチャンとしての生活がどんなものであるのかわかっていました。けれども神様は誠実なお方で私が成長していくにつれ、私が生活で犯す罪の部分と完全に主にゆだねていない部分を示してくださいました。
中学生の時 クリスチャンであると主張していた仲のいい友達たちが、主が喜ばないような行動を取り始めました。けれでも私は多くのクラスメイトに「格好悪い」と思われたくなかったので、彼らとの友情にしがみついていました。私の好きな聖書箇所の1つは、このことを強く勧めているローマ12章2節です。「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神の御心は何か、すなわち、何がよいことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一身によって自分を変えなさい。」主の憐れみにより神は、私にこの友達関係を主に明け渡していなかったこと教えてくださり、主がどのように思われるかよりも、私の友達がどのように思うかに関心があったことについて示してくださいました。
私が主にこの罪を告白すれば第1ヨハネ1章9節で言われているように神は真実で正しい方ですから、その罪を赦してくださいます。感謝なことに私には他に神様の基準に従うことを選んだ友達がいました。それで神様はこの時を用いて私の信仰を強めてくださり、私が主に従順であるということは私の周りに居る人々に依存することではないことを気付かせてくださいました。
神は高校生の最後の年に神様との交わりにおいて重要な部分を無視していたことについて示してくださいました。私は表面上は特に間違いを犯すことがないような生活を送っていました。内面ではキリストの子供が創造主と持つべき深い交わりがありませんでした。
私はヨハネ3章16節「神は、実に、そのひとり子をおあたえになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」を信じています。これは私が小さいときから知っている箇所です。キリストは私を罪から救い出すために十字架にかかって死んでくださり、地獄で永遠の痛みや苦しみを受けるに値する者であるにもかかわらず、御国で永遠にキリストと共に交わりができるように犠牲になってくださいました。自分の働きによってでは天国に行くことができず、神の恵みの賜物であることを私はわかっていました。しかし私は日々の生活を満たすためのこの真理を受け入れていませんでした。みことばを読み、祈ることを通して、より神に近づき成長するための機会として日々のその時々を考えていくべきでした。
けれども、自分は勉強や、スポーツをすること、友達と過ごすことを最優先としてきました。私は、神様と共に自分の生活を作り上げるのではなく、絶えず自分の生活にイエス様を合わせるようにしました。ピリピ3章8節では「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、・・・」とパウロは述べています。主に仕えることや主を知ることに比べると、今まで私が費やした時間は損やちりあくたでした。自分の人生を主に捧げることは、今まで決めたことではすばらしい選択です。神様は詩篇37篇4節に書かれている「主をおのれの喜びとせよ」とは喜びを持って生きる-つまり自分自身の代わりに主を生活の中心に置くということを悟らせてくださいました。
若いときに、主に導かれるために両親を用いてくださったことを感謝しています。それに加え、私の主として救い主として神との交わりの中で、神様の誠実さを確信できることにも感謝しています。私は主が計り知れない愛を私に注いでくださることにいまだに驚いています。また主は私の罪から私を救い出すために十字架上で死ぬこともいとわないと思ってくださったことにもです。それだけではなく、個人的な関係を私と持ちたいと思ってくださっていることもです。主は救い主であり、創造主であるというだけでなく、慰め主であり、友達でもあるのです。主は、詩篇139篇で「私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」主は自分が自分自身を知るよりもよく知ってくださいます。そして主の栄光をたたえるという最も価値のある満ち足りた人生を過ごすことを望んでおられます。主と共に人生を築き、他のことを優先してしまう誘惑といつも戦うことについて日々奮闘します。けれども私は罪の奴隷ではもはやないことを知っています。主の恵みの御許にあって私たちの歩む道、一歩一歩を助けてくださいます。
私は主のために生きるために努力します。将来の希望は天国でずっと一緒に主と共にいることです。そして私は多くの人にすばらしい特権と主との交わりによる満足を得られること、主と共に生きる生活があるということ伝えながら、これからも生きていきたいと思います。 |