私は自分の救いのはっきりした日時やタイミングや年齢を思い出すことはできません。私は2歳弱のときからずっと教会に通っています。私の両親は私を通常の礼拝や活動に没頭させただけでなく、聖書の授業や暗唱聖句や祈りが毎日行われている私立のクリスチャン学校に入学させました。私の両親が夜の聖書研究会に出席している間、週に一度の教会での託児で福音を宣べ伝えるために世界中を旅している色んな宣教師についての話を幼いころから聞かされていたものでした。私が5歳のとき水におぼれそうになっている間、神を大声で呼んでいたのを覚えているので、それよりも幼いころに神の存在を信じていたことはわかっています。大きくなるにつれて母は箴言を読んでその聖句の意味を話し合うために、毎日学校が終わったあとに姉と私を座らせていました。
私は両親が私を育ててきたような育て方を両親が選んだことをほとんど疑問に思いませんでした。聖書は神の言葉で、絶対に誤りのない真理だという信念が自分の中に染みついていました。私は自分が罪人で、イエスキリストが私の罪のためにご自信には罪がないのに十字架の上で死んでくださり、イエス様に許しを求めて自分の口でイエス様を主と告白するならば、永遠の命を得られるということを信じていました。皆さんはそのような私のクリスチャンとしての育ちから「あなたがたは恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 [エペソ人への手紙2章8-9節]」が言うように救いは行いによってではなく神の恵みによってだと私が理解していたと思われるかもしれません。しかし、私の中の罪深く反抗的な部分が神様に完全に自分の人生を明け渡すことを拒んでいました。私は毎日聖書を読み、習慣的に祈り、日曜に教会に出席し、両親に従っているかぎり、自分のしたいことをするのは自由だと思っていました。外見上、両親のなだめ方を知っている良い子供を自負していましたが、内面では罪深く完璧主義な態度が起こっていました。
教会の修養会があったある夏の週、すべてを統治されている主は自分の人生をコントロールしようとしたり高慢で間違った考え方をしたりする私の罪を示してくださいました。十字架の上でのキリストの死と復活、そして唯一主の赦しと恵みを通してのみ、私は義とされるのであって、自分の行いによってではないということを理解し、信じるというそのような主との関係を必要としていることを理解する心に主は変え始めてくださいました。へりくだり、罪を悔い改める心や主が十字架で死んでくださった購いの理解から主を愛することを願うような主との関係が必要だったのです。修養会で私は自分と同じ年代の人が主に対して持っている情熱や愛にとても驚かされました。なぜ自分が神に対するそのような愛を持っていないのか不思議でした。主への情熱的な愛というよりも私は主を、自分の人生の単なる“なすべきこと”としていました。私にとって主はこの世の魅力的なもの~人間関係、人気、物質主義など~は一時的な幸せをもたらすものでしかないことを私に明らかにしてくださいました。様々な個人的経験を通してもこの世のことは常に変化するけれど、神は信頼に値し不変であるということを示されました。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。 [へブル書13章8節]」、「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。[ヨハネの福音書14章6節]」
私はこの世は何も与えてくれないということ、そして私の人生は神の恵みの賜物を証して歩むべきだということを理解し始めました。神様は教えや御言葉を通して、神の子であるということは聖化への継続的成長経過であることを主は私に教え始められました。それは単なる「なすべきこと」のチェックリストではなく、主に信仰と信頼を完全に明け渡すことなのです。それから神様との関係は私には「なくてはならない」もので、「ほしい」もので、「必要」なものとなりました。私は今日、将来待ちうけていることが何かを知らずに生きていますが、主はすべてを統治され、主の計画は常に自分が計画したり予測したりすることよりもより良いものだということを知っていることに安らいでいます。
「神を愛する人々、すなわち、神の御計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 [ローマ人への手紙8章28節]」 |