【証】2010年夏STMチーム2:スティーブン・チェン

スティフィン

私は愛する両親が私を毎週日曜日に教会へ連れて行き、食前には必ずお祈りをするようなクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。そのような環境で育った私は幼い頃から福音に親しんできました。5歳のときのある金曜の夜の交わり会で教師は私が罪人であり、救い主を受け入れる必要があることを教えました。救い主を受け入れないと地獄に行く運命にあることを教えてくれ、私はイエス・キリストが自分の救い主として必要であると思いました。その晩教会から帰って来て、あらゆる永遠の裁きから逃れるための聖書的な祈りを両親に尋ねました。そこにはキリストとの交わりはなく、また本当の罪の重みも理解していませんでした。

その日から私は典型的なクリスチャンの少年として生きるようになりました。私は交わり会や教会に出席 し、聖句箇所を暗記し、讃美歌を歌いました。私は心の中で自分は祈っているのでクリスチャンだと考えていました。しかし罪の本当の意味を理解せず、聖 なる神の前に無礼な態度をとっていました。両親は私と彼らの友人に「この子は良い子だ。」と言い続け、私もその言葉を信じました。私自身はクリスチャンだと思っていました。そして私は祈る人に私はよい人間だと言っていました。私はうそや性的な悪い秘め事や自慢をしており、表の顔とは違うそれはまさしく私の本当の姿でした。このプライドが私自身の改心しない生活を気づかなくさせていました。私はまだ周囲に私はクリスチャンであると言い続けていました。

7年生(中学1年生)でサンディエゴからオレンジ郡に引っ越した時、新しい教会はハーベスト・クルーセイドの集いに招いてくれました。ローリーズ牧師のメッセージは覚えていませんが、感傷的な音楽の演奏とキリストを救い主として受け入れるようにとの彼の呼びかけを覚えています。その晩私は家に帰り、はっきりとキリストに私の人生を再び捧げました。しかし私はその晩すぐに改心したことに疑念を持っていました。中学・高校時代、神は本当に私の心を変えてくださり、自分は罪人であると認識し、救い主が私のために死んで下さったことを信じていました。この時神は私がよいクリスチャンの少年という理由ではなく、主の愛と恵み深い選びによって救ってくださいました。罪のために地獄に行くのがふさわしい哀れなわがままな少年を救って下さいました。神は私の罪が許される唯一の方法が十字架の現実であり、父なる神がそのひとり子を十字架につけられるという愛の犠牲であることを教えてくださいました。

しかしながら青年時代には様々な点において霊的に未成熟であると言えるでしょう。私は自分の歩みを霊的人格に頼り、みことばをめったに読みませんでした。私の心は聖書のみことばに反発していました。私はみことばを読む必要がないという個人的な考えを持っていました。私は罪の赦しと、神と一緒に歩み続けることを求めました。しかし、私には当然なすべき聖書のみことばを読むことと神に関する知識が欠けて いました。私の心は世的なことに簡単に従っていました。残酷な映画を観たり、変わりなくすべてのものを愛される救い主に代わり、女の子に満足を見出したりしていました。しかし、恵み深い主は私を見捨てられませんでした。大学時代に私をグレイス・オン・キャンパス(以下GOCと記載)に導いてくださいました。

GOCでは神は多くの方法を通して私の心を砕いてくださいました。神は私が主と密接な関係が築けていないこと、祈りや聖書を読むことが欠けていることを示してくださいました。主はどのような事にもみことばの真理の絶対的重要性を示してくださいました。主は私に兄弟姉妹たちを励ますことを通して私をキリストに似た者へと変え続けて下さるということを教えてくださいました。主は私の人生は定められており、目的は主の栄光を表すことで自分の慰めのためではないことを示してくださいました。

聖霊の働きを通してみことばは私の信仰を成熟したものに変えてくださることを学び会で学びました。主は私が5歳のころから、私の小さな祈りによって主と関係を持っていたことで、私と共にいてくださった忍耐強いお方であることが分かり始めました。

現在、私は神が私をそうしてくださった奇跡にとても感謝し、自分自身の喜びのために生きるのではなく、私のために死んでくださった主のために生きることを願っています。高慢で堕落した私のような者を誰でも救おうと選んでくださる全宇宙の聖なる神はいつも私をひざまずいて感謝する思いへと導かれます。キリストと共にある霊的福音によって、主が永遠に側にいてくださる天の家に私を伴われるまで、私の人生においてキリストを追い求め主の御栄光のために生きること以上の目的は見出せません。

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