【証】2010年夏STMチーム1 :ダイアナ・ボー
私は太陽あふれるカリフォルニアで生まれ、現在に至っています。主は私、ダイアナ・ヴォーを、偽りの偶像を崇拝する仏教の習慣の中に生まれさせ、本当の神様を知らない家庭に育ち、通常の教育を受けるためにカトリックの学校に送られました。私は、アジア的迷信と、西欧的自立精神の入り混じった世界観の中で育ちました。良い道徳的価値観を保持するよう教え込まれ、道徳的行いを強く躾けられて来ました。少なくとも、宗教的見地からは、全く矛盾だらけのものでした。私の家庭には神様はありませんでした。 そうこうするうち、私はカトリックの学校を終え、答えの出ない人生の疑問を抱えたまま高校に進みました。高校では、私は放課後の運動部 (例えばクリスチャンアスリートの集いのようなクラブ)に入りました。そこで私は、さまざまな宗派の人たちと出会いました。彼らの背景はわかりませんでしたが、色々な礼拝の行為を見聞させられました。またそのころ急に家族に不幸があったり、大変な事が続きましたが、まだ、私の家には神様がありませんでした。 しばらくして、私はカリフォルニアの北のほうにあるシリコン・バレーの大学に行きました。どのクラスに行っても、よく過激な信仰を持つ同級生に出会い、そのたび私はカトリックの信仰にしがみついていました。どういう訳か、変な宗教グループが私を勧誘しようとし、そういう集会に出るたびに、その直後に断っていました。 ある日の夕方、クラスのスケート友達が「僕の通っているバプテスト教会の礼拝に出席した後、友達と一緒に遊びに行くから、礼拝から一緒に行かないか」と私を誘いました。 (いつも宗教関係の集いは、いやいや行っていましたが)でもこの時は、私は自分から進んで行き、礼拝も全部参加しました。そして神の言葉が朗読されるのに、私は初めて聞き入りました。その言葉は私の心に深くしみ込んで行き、聖書を買いに行きたいと思うようになりました。神の言葉が朗読されたとき、自分もそれに続いて読めるようにと、私は初めて聖書を買いました。そうして気が付いたら、私は聖書を読んでいたのです。 ★ローマ 3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、.. 何週間もの間、私は罪の自覚に心が責められました。私は、神様を礼拝せず、あまりに自己中心に生きてきた私の傲慢さに絶望しました。神様の目的よりも、自我を優先するたびに神様を悲しませてきた事に対して、私は神様に許しを乞いました。今では私は、神様に助けてと私が頼んだとき、お救い下さった事を知っています。神様、感謝します。 |