【証】2010年夏STMチーム1 :ベランド・ハング

べランド

私が罪の性質を持って生まれたその瞬間から、私のクリスチャンの家族は熱心な聖書的教育によって私の罪深い性質を打ち砕こうと努めました。幼児のとき初めて発した言葉には、普通の「パパ」「ママ」「おいしい」だけでなく、「ハレルヤ」という単語も含まれていました。 3年生の頃、聖書の言葉が理解できるようになってきはじめたらすぐに、父は私と日々の父と子のデボーション・タイムを始め、それは7年間続きました。眠い朝と、いつもたいして聞いていなかった父の教えを思い出すとき、彼が私に訓練をし続けてくれたこと通して示してくれた愛を非常に感謝しています。

“伝道少年”として、私は子供時代の良き日々を教会の中での「成長」を通して過ごしました。基本的と考えられている、週に1日以上の教会出席に加え、私にはほかの子供に比べて聖書のより多くの知識と、より善い行いが期待されていたように思います。人間的な見方からすれば、私の「完璧な」聖書的教育は神様に対するいかなる種類の反抗心などを起こさせるはずはなかったのです。十代の始めころになると、私は福音をとりあえず認め、言葉の上では何とか罪と神の罰から私を救ってくださる主であるキリストを否定することのない者になっていました。つまり決してキリストを否定しはしないが、かといって主としての彼に信頼しない者になっていました。霊的リーダーたちが見ていないところで、一見クリスチャンであった 14歳の少年はこの世の堕落に身を任せて、目の欲、肉の欲、高慢といった取るに足らないことによって主を侮っていました。

この期間がどのくらいの時間であったか、またこの私に変貌をもたらした強い感情・価値観がどのような状況から生じていたのかさえ覚えていませんが、十代のある段階で、私の堕落は現実的かつ重大なものとなっており、そのとき神様の恵みが私を捉えました。神様は私に、私の聖書的教育や教会出席が、私の「救われる資格」に対して何の寄与もなかったことを示してくださいました。私に残された唯一の方法は、地獄へと続くその歩みを「Uターン」すること、キリストの十字架の購いの御わざにすがる―彼の死と罪に対する勝利は私が死と罪の連鎖から逃れ出る唯一の道でした。

高校でバプテスマを受けた後、私はずっと家から離れてUCLAで学び、グレース・コミュニティー教会にも出席し始めました。私はこの教会は世界でも最良の教会の1つだと思っています。神は私の信仰と神への愛をこの教会の大学生の聖書研究会の働きを通じて深め、今日も神様は教会の若い既婚者グループの集いを通して、私にご自身について多くの事柄を示してくださいます。

私の人生の最初の25年を振り返って明らかなのは、神様が私を恵みの「フェンス」の中に囲い込んで、どこかに迷い出ないように守っていてくださったことです。愛する両親、教会での聖書的教育、幼少期からの聖書訓練、大学でのしっかりとして聖書研究会、キリストにある兄弟でもある友人たち、信仰者である私の妻、結婚の約束―これらの事柄はどれもそれ自身私を救いはしないが、神様は慈悲深くもこれらの事柄を通して私がキリストを知る知識に至るまで私をご自身に結びつけ、そして今日、これらの事柄をさらに用い続けることによって、私をキリストにあって成熟させようと成し続けておられるのです。私たちの人生に働かれる栄光に満ちた、また驚くべき御業のゆえに神様を賛美します!


ああ、罪深いものに恵みを与えんと、

日々、私を服従させられる。

あなたのいつくしみは 枷 ( かせ ) のよう、

私のさまよう心をあなたに結ばせる。

さまよいやすく、主よ、

愛する神様すら見失いやすい、

このこころを、取りたまえ、守りたまえ、

天の御国の安らぎの日まで。

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