私は複数の宗教を信じる家で育ちました。母方の家系はたくさんの神を信じ、いつも先祖のために紙幣を燃やしていました。一方、父方の家系は神の存在を否定していました。でも、私は、カトリック信者の祖母と暮らしていましたので、毎週ミサに参加してイエス・キリストについて聞いていました。私は自分が宗教に熱心であると自負していましたが、キリストとは何の関係もなく、罪に支配された生活を送っていました。というのは、私はこの世を神として崇拝し、友達や家族から褒められ、認めてもらえることを追い求めていたからです。神様はその恵みとあわれみによって、まだ敵であった私を、キリストにあって神様の子として選んでくださいました。
高校 2年生の夏に、私が休みの間に台湾に戻っていたとき、神様は私の人生に種を蒔いて下さいました。神様の主権の下、神様は、以前は信じていなかった叔母を用いて、私を台北の教会に連れて行って下さったのです。そこで私が見たのは、信者の生き様がどれほど一般の人と違うのか、また叔母が以前会った時とはどれほど違った人生を送っていたかということでした。その夏、神様は私をイエス・キリストについて知りたいという思いにさせてくださいました。3年生になるころ、私は金曜夜の若者の学びに参加し、ゆっくりとではありますが少しずつ神様は、私に神様の真理を解き明かしてくださいました。高校を卒業するころには、大学に行ったらクリスチャンの交わりに入りたいと思うようになっていました。
大学に入って、大学の中にあるグレースコミュニティ教会 (GCC)の聖書研究会に出席し始めて一週間たったころ、数人の人たちが私をお茶会に招待してくれました。その夜彼らがした質問のうちの1つは「あなたが今日死ぬとしたら、天国に行けると思う?」というものでした。そのときは、イエスさまを信じたとしてもそれで十分なのかどうか、正直なところわかりませんでした。私は良い人でしたし、少なくとも表面的には従順でした。しかし、“神様は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自身のあわれみの故に、聖霊による新生と更新との洗いをもって、私たちを救ってくださった”(テトス3:5)ということはよくわかっていませんでした。会話はさらに、私たちは皆恵みによって救われた罪人だという事、そして救いは私たちが自分の努力では得ることのできない無償の賜物であるという説明にも及びました(エペソ2:8)。私が力強い福音のメッセージを聞いた後、神様は、多くの試練を用いて私を遜らせて下らせてくださり、自分が罪人で、救い主が絶対に必用な者であることを、悟らせてくださいました。真実なる神様は、私が罪を悔い改め、イエス・キリストを私の主人また救い主として受け入れることを許して下さいました。その直後、わたしはGCCでバプテスマを受けました。
最初の種が蒔かれてからというもの、恵み深い神様は私の信仰をずっと成長させ続けて下さいました。神様は、御言葉の知恵、祈りのすばらしさ、交わりのうれしさを教えてくださいました。恵みにより、私の人を喜ばせようとする欲求は罪深いものであり、私を満足させるものは神様お一人だということがわかりました。私は、イエス・キリストに希望を置き、あらゆることをなして、この人生を恵み深い神様のご栄光のために捧げています。 |