宣教師の証:ケイティ・モーズ

ケイティ
【名前】:
ケイティ・モーズ

【職業】:
高校生

【好きな聖書箇所】:
へブル 4 : 14-16
この箇所が好きなのは何段階にもわたって慰めがあるから。

【趣味】:
サッカー、ピアノ、友達や家族との時間など

【バレー・バイブル教会との出会い】:
1992 年に生まれてからずっとバレー・バイブル教会へ行っている。

【好きなもの】:
好きな色:オレンジ
好きな動物:キリン(次にペンギン)
好きな食べ物:チョコレート
私の寝室は海辺をイメージしてデコレートしている。

【証】:
私は教会で育ち、イエスは私を愛し、私の罪のために十字架にかかって死なれたということを常に教えられてきました。もしイエスを信じるなら私はクリスチャンになり、永遠にイエスと共に天国で暮らせるということを学びました。しかし大きくなるにつれクリスチャンであるということは救い主として、また私の人生の主としてイエスをただ受け入れるということより実際にはもっと多くのことを意味していると気づきました。もし私が自分自身をクリスチャンと呼ぶなら、私は主を喜ばせる人生を送ることに全力を尽くさなければなりません。聖く、キリストに似た者となるために、私は肉の欲と自分の罪を明け渡さなければなりません。神は統治者であり、神のご計画は私が持つどんな知恵よりも優れているということに信仰を置かなければなりません。しかし一晩でこれらすべての理解に至ったわけではありません。ここ数年の間に神の恵みによって神に近づくにつれて、主がこれらのことを私に教えてくださいました。
私とキリストとの関係が実際に始まったのは私が高校1年生の時でした。当時、私は本気で神の御言葉を読み、研究し、そして御言葉から学ぼうとし始めた頃でした。私は祈り始め、また主との会話を楽しんでいました。しかし、教会外での私の生活はこの世と完全に切り離したものではありませんでした。私は人から「良い人」と言われ、それで満足していました。私は神の力を借りて自分の生活のうちにある罪を見出そうとせず、その罪を取り除こうともしませんでした。しかし、罪が神と私の関係の妨げになるので、神を喜ばせるために自分の罪を取り除かなければいけないということを神は私に教えてくださいました。
また高校3年生の時、私はサッカーで前十字靱帯を損傷したのですが、それは手術を要するほどの大きな膝のけがでした。私は初め、神がそのような状態をもたらしたことにとても腹を立てました。というのも、そのことでサッカークラブの試合で競技し、そして大学に入ってもサッカーをしようという私のすべての計画が台無しになったように思えたからです。この時期、私は神の完全なるご計画と主権意思について多くのことを学びました。神は優れた計画を用意しておられ、その目的のために神はすべてのことを働かせて益としてくださるのです。(ローマ人への手紙 8章28節)神が「よいこと」として定義されることは私が定義することと違うかもしれませんが、神は完全で全知であり、全世界を創造した神であるゆえに、神の定義は常に最善なのです。けがと回復を通して、神は確かにすべての状況において私が神を信じ、苦しみを経て忍耐強くなる必要があることを私に教えられました。
高校時代においてキリストとの歩みにおけるもう一つの重要な局面は、私の神への愛が単なる(感情的な)気持ちではなく心の底から神を愛したいと望むようになったことでした。高校3年の時、長論文を書かねばならず、私はカルビン主義とアルミニウス主義について書くことに決めました。このことで神の御言葉を学び、そしてこれらの難しい論議を呼ぶ議題について御言葉がどう言っているのかについて考えるすばらしい機会が与えられました。この論文が神学と弁証論について私の大きな関心を引くこととなり、今大学でもっとこれらのことについて学びたいと心から思っています。私はただやみくもに教えられてきたことを受け入れるというのではなく、自分が信じていることをなぜ信じているのか分かっていることはとても大切なことだと思っています。私が自分の信じるものを探求して得た大きな恩恵は自分の信仰に対して確信を持って語れる言葉を見出したことでした。この2、3年の間、友達や同級生に福音を伝える数多くの機会があり、私は喜んで、また大胆に伝えてきました。もっと幼かった時、会話が霊的、また宗教的な話題になると私はとても臆病で恥ずかしがっていましたが、今は率直に受け入れています。私はこれらのことについて人と話すことは非常に重要だと思っていますので、それを楽しんでいます。
私が経験してきた人生におけるすべての成長はすべて神の栄光のためです。自分の人生の中で私自身が称賛に値するものはひとつもありません。神が働きをなされるのです。私は神が私のうちで、そして私を通して働かれるようにただ祈るだけです。神が引き続き私を形作り、より完全な器とし、神の役に立つように適した者へとし、そして周りの人々を愛し、仕え、そして励ますようにと神が私を用いてくださるようにと祈ります。
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