JJ5D:申込状況
現在小学生の申し込み枠に多少空きがあり、引き続き募集しております。
JJ5Dに関するご質問等ございましたら、浜寺聖書教会までお問い合わせくださいませ。
【証】2010年夏STMチーム2:シャノン・アームストロング
私はグレイス・コミュニティー教会でずっと育ってきたこと、とても信仰深い両親であったことを祝福であったと思っています。私は若いときに父と一緒にひざまずいてイエス様を私の救い主として受け入れ、心にきてくださるように祈ったことを覚えています。私の両親はキリストにある基本的な信仰において自分たちの生活にどのように適用させていくのかを教えてくれて、とても役に立ちました。両親はさまざまな教会の活動グループに参加できるためにクリスチャンスクールに私を入学させました。そしてうちでワークブックや一緒にデボーションを持つことをとおして私に教えました。クリスチャンとしての生活がどんなものであるのかわかっていました。けれども神様は誠実なお方で私が成長していくにつれ、私が生活で犯す罪の部分と完全に主にゆだねていない部分を示してくださいました。 |
【証】2010年夏STMチーム2:キミー・ウォング
私の人生を振り返ってみると私の人生に救いの完全な計画をもって働いてくださった神様の御手のわざがはっきりと分かり、驚嘆します。教会へは通っていませんでしたが、神様は私の幼い頃に御自身を明らかにしてくださいました。私はキリスト教主義の小学校に入学し、神様と聖書について学びました。しかしテストに合格するための知識を詰め込んだ勉強でした。 2年生のとき、友だちが誘ってくれた教会の夏のキャンプが楽しくて、毎年続けて参加しました。そこではキリストが私の救い主であるという真の意味を理解することなく、ただ祈っていました。成長して中学生になってから、日曜日に教会へ行き、中学生の交わり会に参加するようになりましたが、自分の心を満足させることや友だちと付き合うことが動機となっていました。今、私は私が学んだこれらのことを神様が用いられ、私が神様に近づくために教会で過ごさせて下さったときであったと確信しています。 |
【証】2010年夏STMチーム2:ジミー・ロー

私はクリスチャンの家庭で育ったわけではありませんが(一家は仏教徒です)、いつもキリスト教の周辺にいました。キリスト教との馴れ初めは6年生の時から高校を卒業するまで、クリスチャンの学校に通っていたことです。そういうわけで私は天国と地獄といった概念に馴染んでいました。当然のことながら、私は自分の魂はどうなっていくのだろうかという絶え間のない悩みを抱えていました。もし聖書が真実で、私は自分の罪深さが理由で救われなかったなら、地獄に落ちるであろうという厳しい現実に直面しなければなりません。 |
【証】2010年夏STMチーム2:スティーブン・チャン
私が覚えている限り、両親はいつも私を教会に連れて行ってくれました。幼いころ、日曜学校やアワナ(クリスチャンのボーイスカウト)などたくさんの教会の行事に出席しました。私は教会で学んだ全てのことは真実ではないと思ったことはありませんでした。私はそれを決して疑問に思いませんでした。私ははじめからイエスが地上を歩かれたこと、そして十字架の上で死なれたことを事実として信じていました。しかし、これは知的な同意で、救いに至る信仰ではありませんでした。それは私にとって歴史物語以上のものではなかったのです。 |
【証】2010年夏STMチーム2:アリス・リー

私はクリスチャンホームで育ち、子供の頃から教会へ通っていました。覚えている限りでは私はいつも神様の存在を信じていましたが、私の理解は限られた不完全なものであったため、ただ自分が喜ぶことをし自分勝手に生きる以外知りませんでした。 |
【証】2010年夏STMチーム2:イングリッド・ユー

私は自分の救いのはっきりした日時やタイミングや年齢を思い出すことはできません。私は2歳弱のときからずっと教会に通っています。私の両親は私を通常の礼拝や活動に没頭させただけでなく、聖書の授業や暗唱聖句や祈りが毎日行われている私立のクリスチャン学校に入学させました。私の両親が夜の聖書研究会に出席している間、週に一度の教会での託児で福音を宣べ伝えるために世界中を旅している色んな宣教師についての話を幼いころから聞かされていたものでした。私が5歳のとき水におぼれそうになっている間、神を大声で呼んでいたのを覚えているので、それよりも幼いころに神の存在を信じていたことはわかっています。大きくなるにつれて母は箴言を読んでその聖句の意味を話し合うために、毎日学校が終わったあとに姉と私を座らせていました。 |
【証】2010年夏STMチーム2:スティーブン・チェン

私は愛する両親が私を毎週日曜日に教会へ連れて行き、食前には必ずお祈りをするようなクリスチャンの家庭に生まれ育ちました。そのような環境で育った私は幼い頃から福音に親しんできました。5歳のときのある金曜の夜の交わり会で教師は私が罪人であり、救い主を受け入れる必要があることを教えました。救い主を受け入れないと地獄に行く運命にあることを教えてくれ、私はイエス・キリストが自分の救い主として必要であると思いました。その晩教会から帰って来て、あらゆる永遠の裁きから逃れるための聖書的な祈りを両親に尋ねました。そこにはキリストとの交わりはなく、また本当の罪の重みも理解していませんでした。 |
【証】2010年夏STMチーム2:キャサリン・ドゥアベッカー
私は信仰の厚いクリスチャンファミリーに生まれ、ずっとミッションスクールに通い、そこで育ちました。グレイス教会には 4歳からずっと通っています。キリストを救い主として受け入れたのは、小学校1年生の頃でした。しかし学校生活では、多くの問題があり、実際退学処分寸前の時がありました。私は、再び外出禁止になり、家にいたある嵐の夜に、自分が堕落していることを、本当に理解するようになりました。そして、母の部屋に行き、祈ったのです。そのとき以来、私は変えられ、両親もそのことに気づき、私は霊的な歩みにおいて、真に成長し始めたのです。私の人生は決して容易なものではなく、いくつかの大変な試練も通り抜けましたが、主にあって成長を続けています。主は常に私の罪と改善すべき点を示してくださいます。霊的成長には、終わりが無いことを学ばされています。私は主にあって成熟し続けること、また、私が忍耐する必要がある全てのことに耐える力を主が私に与え続けてくださることを祈り願っています。 |
【証】2010年夏STMチーム2:ブリアン・キング

私は赤ちゃんの時からグレイス・コミュニティー教会に出席しています。神様はクリスチャンホームで育ったこと、グレース教会で育ったことを祝福してくれていました。私の両親によれば私は4歳くらいの時、心に主を受け入れたそうです。 1997年の秋に私は新しい学校に通うことになり、4年生に入りました。この学校は他と異なって4年生から12年生(高校3年生)まである学校です。私にとって高校生をさけるのはとても難しかったです。たとえば彼らの服装や彼らの個性などです。これほどまでに高学年の人から強い影響が与えられるとは気づいていませんでした。自分が世俗的になり始めたのです。彼らと同じように汚い言葉を使ったりしている自分に気づくのに時間がかかりました。罪の中で自分を見失い、主を喜ばせる歩みをしていませんでした。 あるとき学校からバスに乗って家に帰るとき、クリスチャンの友達が私が主を心に受け入れるときのことについて聞いてきました。そのときのことを覚えていなかったので、覚えていないと答えました。 家に帰って母にどのように自分はキリストを救い主として信じたのかを聞きました。母は私がイエス様を救い主として受け入れた時の驚くべき夜の事を話してくれました。2、3時間ほど母が言ったこと、クリスチャンの友達が言ったことを考えていました。私はキリストを信じ、主は私の救い主でした。私の心が主を信じ、神の近くへ引き寄せられるように感じたことを憶えています。その夜寝る前にすべての罪を赦してくださるように祈りました。なぜなら学校で見かける高学年の生徒たちのように自分が成長していきたくなかったからです。 赦してもらうように祈ったあと、私の生活は変わったと感じました。高学年の人たちのように育ち、彼らがおかれている環境にいたくないことはわかっていました。主の助けによって私は自分の心や舌を自制することが出来ることがわかりました。ですから心から主に賛美することができます。主は理由があって私を選んでくださいました。十字架上の主の恵みと私たちに対する憐れみから私を選んでくださいました。 多くの試練ありましたが、そのたびに私たちの父なる神からの評価と強力な理解で主の元に戻ることができます。私たちの神は憐れみ深いお方です。 私はこの時代において、主の証人として自分の生涯を過ごしたいと願っています。 |
【証】2010年夏STMチーム2:セシリア・デン

私はクリスチャンではない家族のもとで育ちましたが、幼稚園から高校3年生まで私立のクリスチャンスクールに通う機会に恵まれました。そのようにして私の主との歩みは始まりました。幼稚園以来ずっと、福音の話や私たちの罪のため十字架で死なれるために御子を送ってくださるという神の払われた犠牲について聞かされてきました。ついに3年生のとき、キリスト教について、またイエス・キリストが自分の罪のために死なれたと信じることが何を意味するのか考え始めました。そのうちにそのことについて、ある一人の先生と話をしました。会話の後、先生は祈りへと導いてくださり、自分の罪を悔い改めてキリストに私の救い主、そして購い主になってくださるように祈りました。それがまた私は自分自身をクリスチャンだと思い始めたときでもありました。 |
【証】2010年夏STMチーム2 :パトリック・クー
私は台湾に生まれ、幼少の頃多くの年月をそこで過ごしました。その間、私はたくさんの時間を祖母と一緒に過ごし、教会へ連れて行ってもらいました。私はそんなに注意深くメッセージに耳を傾けていたわけではありませんが、神がおられることを私の日々の暮らしの中に生きて働いておられることがわかりました。子どもの頃、私はまたキリスト教以外の道徳的で精神的な原理も教えられましたが、それらがわたしの心を正しくすることはありませんでした。そのうち私は家族と共に町に引越し、母は私を教会に通わせました。私が成長してだんだん自分の頭で物事を考えられるようになってきたとき、私は自信過剰でプライドが高く尊大で自己中心的な人間になってきました。まるで子どものように私は天国と地獄の存在同様、私にいのちを与えて下さった神様が存在しておられることを理解していました。 アメリカへ移住してからも私は教会に通い続け、青年たちとの交わりに加わりました。教会でリーダーたちは常に私に励ましを与え、真のクリスチャンであるということはどういうことかを私が考えるように働きかけてくれました。彼らは私が毎週教会に通ってくるものの、クリスチャンではないということを知っていました。彼らは多くの時間をかけて私を教え導いてくれました。それは真のクリスチャンであるということは私の長年の教会生活がそうであったように、ただ頭の中の知識だけによるものではないということを私に解らせてくれるためでした。 私に求められていたことは私の人生の主権者として神様を受け入れること、みことばに従って生きていくことでした。神様に対する完全な理解と知識において成長していくにつれ、私は自分の罪深さや自分が神の御前においてどうあるべきかということも分かるようになってきました。これまでの私は神を信じたくないという願望と自己中心的な行動によって善悪の判断がつきにくくなっていたのです。 13歳の誕生日の一週間前、私はこれまでなんと神様に不従順にそして見せかけだけのクリスチャンとして偽善的に生きてきたことに気づいて悩みました。そのときでした。私がもう自分勝手なプライドや誤った善悪を判断する力に支配されて生きていくことはやめようと決意したのは。そしてこれからは神様に全く従順に生きていこうと。そして全能の主のみこころに人生のすべてをお委ねしようと。その日私はイエスさまを救い主として、わが主として私の人生に受け入れることを決心しました。 私はこれまで自分の基準によって天国に行けるものと思っていました。もし天国が存在するのならそこに至る道を歩み続けて行こうと思っていました。今にして思うことは今までの私は傲慢で、すべてのものをお造りになり生かし続けてくださる主権者としての神様を崇め讃えていませんでした。 もし私が主が与えてくださったみことばの代わりに自分の基準によって、イエスさまをいまだ生き続けておられるわが主として受け入れると言うならば、私はイエスさまをわが主として受け入れようとはしていないのです。もし私の信仰が私の心の在り方を変えていかないものであるならば、私は自分の信仰を吟味する必要があります。今や、私の救いの保証が私の弱さの中にあるのではなく、神様の恵みと力の中にあると言うことができて私はうれしいです。 |
【証】2010年夏STMチーム1 :スティーブ・トゥー
私はイエス・キリストに従うことも礼拝することも知らない家庭に生まれ育ちました。むしろ物質的に豊かな生活に頼っていました。私は道徳的に生活し、人に良いことをしたり、熱心に働いたり、社会に役立つ者になるよう教えられました。 |
【証】2010年夏STMチーム1 :コリン・ニールセン
神の主権的摂理よって、私はクリスチャンホームに育ち、小さいころから教会に行っていました。聖書の代表的な話はすべて学び、教会で尋ねられるどのような質問に対しても正しい答えを知っていました。知的には早い段階で福音を受け入れていましたが、実際のところ本当のキリスト教について知ってはいませんでした。私の信仰というものに対する理解は根本が間違っていました。神に対する信仰とはクリスチャンが知っているすべての事実に同意することであると思っていました。 |
【証】2010年夏STMチーム1 :サラ・ヒウラ
神の御言葉が誠実に語られることがなかったら、私は救いの神を知ることはありませんでした。私は基礎となる福音のメッセージをいつも聞くことのできるとても祝福された環境の中にいました。祝福なことに私はクリスチャンの両親と共に教会で育ちました。救われた正確な日時ははっきり言えませんが、自分は神のものであると知っていました。神の恵みが必要な罪人であることに気付くまでにかなりの時間がかかりました。 |
【証】2010年夏STMチーム1 :アラン・チャン
| 私は祖先や仏を礼拝している家族の下に生まれ、これらの偶像に毎日祈りを捧げる習慣の中で育ちました。毎年家族全員でお寺に行き、死者に祈りを捧げました。祖母はこれらの行為が不幸から家族を守ると堅く信じていました。私を見守ってくれる神がおられることを信じるように導かれ、カトリック系の中学、高校へ行きました。このような多神教の環境の中で成長した欲張りな罪人なので、私は人生全てがうまくいくために役立つできるだけ多くの神々や偶像を信じたいと思いました。神とは私の人生を気楽なものとする存在のしもべとして見ていました。また私が善良な人として価値があるので、神は私に安楽な生活、愛する友達や安定した仕事などを与えて当然だと信じていました。 2002年、2年間にもわたる友人の説得により、新しい友達や女友達に出会うために教会へ行く決心をしました。香港では男子校に通っていましたから。私は教会にしっかりとつながるのではなく土曜日の交わり会にだけ参加していました。 聖書勉強会の間でさえ、真理に注意を払うかわりに晩ごはんのことを考えていました。一年後、高校進学のためアメリカへやってきました。神の恵みにより一年前に仏教徒から改宗してクリスチャンになった叔母と一緒に暮らすことになりました。彼女は私が以前教会に通っていたことを知り、とても興奮し、毎週金曜と日曜日に教会へ行くことが習慣になるまで、近所の教会へと熱心に私を連れて行ってくれました。牧師の部屋で私が罪人であることを認め、イエス・キリストを救い主として受け入れるよう招かれました。私はそのときはっきりと救われたと思います。しかしその後も私の日常生活には少しの変化も見られず、悔い改めずに罪を犯し続けていました。聖霊の内住はなく、罪を犯していることに対する咎めもありませんでした。毎日曜日にみことばを聞いているにもかかわらず、父なる神との親密な関係を持てていませんでした。 神の恵みによりUCLAに3年生から編入することができました。今、神がこの学校に私を置いてくださっていることにとても感謝しています。憧れの学校に入れただけでなく、さらにグレース・オン・キャンパス(以下GOC)やグレース・コミュニティー教会に通い、神との親密な関係を持たせていただいていることに感謝しています。GOCでの始めの学期ではうまく馴染めずに苦しんでいて、自分の罪の心との戦いもあり他の交わりへ移ろうと考えていました。しかし神は恵み深く、真実な方です。忍耐深い小グループのリーダーであるジョナサンやルームメイト達、GOCのすべての友人を与えてくださいました。ジョナサンは困難の中にある私を助け、クリスチャンになるために、また愛に満ちた神に救われるための方法を教えてくれました。罪に満ちたこの世によっては決して満たされることはなく、偉大な創造主である神を求めることによってのみ私の餓えは満たされると気付きました。また私は罪人であり、聖い父なる神に近づけず、その代わりに地獄へ向かっていることに気付きました。地獄から私を救うために主なる神、救い主が必要であることも知りました。自分の罪を自分自身で取り除くことはできないと知ることにより、十字架に来なければなりませんでした。キリストの罪のない血によって過去、現在、そして未来の罪を洗いさっていただかねばならないのです。そうすれば聖い神の前に出て、永遠に主の御名を褒め称えることができるのです。今、私は自分が罪人であることを知っています。神は愛するひとり子を私の罪を負って死ぬために地上に送られました。今日、私はイエスこそ唯一の私の救い主であると証します。私は主の忠実なしもべとして主の栄光を現してゆきます。 |
【証】2010年夏STMチーム1 :ルーシー・シャー
私は複数の宗教を信じる家で育ちました。母方の家系はたくさんの神を信じ、いつも先祖のために紙幣を燃やしていました。一方、父方の家系は神の存在を否定していました。でも、私は、カトリック信者の祖母と暮らしていましたので、毎週ミサに参加してイエス・キリストについて聞いていました。私は自分が宗教に熱心であると自負していましたが、キリストとは何の関係もなく、罪に支配された生活を送っていました。というのは、私はこの世を神として崇拝し、友達や家族から褒められ、認めてもらえることを追い求めていたからです。神様はその恵みとあわれみによって、まだ敵であった私を、キリストにあって神様の子として選んでくださいました。 |
【証】2010年夏STMチーム1 :プリシラ・ハング
私の両親が結婚したとき、父の学校の卒業を機に二人は台湾からアメリカに移住しました。彼らはとてもつつましい生活をし、アメリカでの生活を何とかやっていきました。その頃、彼らは教会に行き、共にバプテスマを受けました。父は博士課程を終え、とても良い仕事に就き、南カリフォルニアに移住しました。私の両親が移住したとき、彼らはもう教会へは行っていませんでした。兄と私は南カリフォルニアで生まれ、私たちのどちらも子供のときは教会に出席していませんでした。 |